TATTOO MEANING

ダルマ(達磨)のタトゥーの意味

ダルマ(達磨)のタトゥーの意味とは?

LUCKY ROUND TATTOOのダルマのタトゥー

ダルマは縁起の良いタトゥーモチーフとして、日本では古くから人気があります。
大きなサイズから小さなサイズまで、様々にデザインされています。
縁起物とされるダルマとは、一体どう言うものなのでしょうか?

ダルマは、達磨大師と言う僧侶が元となっていると言われています。
達磨大師と言うのは、「南天竺国の香至王」すなわち「現在の南インドの香至と言う国の王様」の三番目の王子として生まれました。
達磨(だるま)と言う言葉は、サンスクリット語で「法」を表す言葉なのだそうです。
仏教での「法」とは、「真理」や「存在」など様々な意味を持つ言葉であり、この「法」が仏教における教えの中心とされています。
お父さんの香至王は仏教を重んじていて、インドで仏教の法脈を受け伝える二十八人の祖師「西天二十八祖」の第二十七祖である「般若多羅尊者」が国を訪れた際も、手厚くもてなし、大変高価な宝珠のお布施を行ったと言われています。
香至王の死後、達磨大師は出家をし、僧侶となります。
「般若多羅尊者」から教えを授かった達磨大師は第二十八祖菩提達磨となり、海を渡って中国へ行き教えを伝えて、禅宗を成立させました。
世界遺産にも登録されていて中国を代表する山「五岳」の中心とされる「中岳嵩山」にある「少林寺」で、達磨大師は9年もの間を壁に向かって座禅を続けたために手足が腐ってしまったと言う伝説があります。
この伝説から、顔と胴体だけで手足がない置物が作られ、ダルマと呼ばれるようになったと言われています。

一説には、達磨大師の「壁観」と呼ばれる「壁の様に動じる事のない境地をもって、真理を観る禅」と言う宗旨が「9年間壁に向かって座禅を続けた」と誤解されて伝わったものとも言われています。

ダルマの置物はこの達磨大師が座禅をしている姿だと言われます。
ダルマの姿に様々な願いが込められ、TATTOOのモチーフとして選ばれます。
海外でも日本語のまま「daruma」と呼ばれ、日本らしいと言うだけでなく、力強い美しさを持つデザインとしても受け入れられています。

ダルマの置物の発祥とは?

群馬県の高崎市鼻高には、現在よく見るダルマの置物の発祥地とも言われる少林寺達磨寺があります。
その昔、達磨寺の場所には観音様をまつる小さなお堂だけがあったのだそうです。
そこへ大洪水が起こります。水が引いたある夜に、村人が川の中に光を発する古木を発見します。引き上げてみると、お香の様なとても良い匂いがしたそうです。
この古木は何か由縁がある霊木として、お堂の中に奉納されました。
それから数年の後、一了と言う年老いた行者がこの地を訪ねます。
一了は「達磨大師が夢に現れ、鼻高の地に霊木があるからその木で達磨大師が座禅する姿を彫れと申された」と言うのです。
びっくりした村人は、すぐに一了を観音堂に案内しました。
一了は沐浴をして体を清め、ひと彫りしては五体投地(手、両膝、額を地面に投げ伏す礼拝の方法)を三回行う一刀三礼と言う彫り方で、心を込めて巨大な達磨像を彫りあげたのだそうです。
その後、中国の心越禅師を迎えて、達磨寺が開かれました。
江戸時代中期に発生した「天明の大飢饉」の際に、当時の達磨寺の和尚が、農民たちが飢えをしのげる様にと、心越禅師が描いた達磨大師の図を元に木型を作り、張子の達磨を作らせて七草大祭のdに売り出したところ、福を呼ぶ置物として評判となり、現在の縁起物のダルマとなったのだそうです。

達磨生産の80%はこの高崎市で生産された高崎だるまであり、眉毛は鶴で鼻から口ヒゲは亀を表現した縁起だるまだそうです。

ダルマのお腹の部分には「福」や「必勝」など願いに応じた文字を入れる事も多く、TATTOOとしてダルマをデザインする際にも、「福」や「福入」と言ったお腹文字を描く事が多いです。

ダルマが赤いのはなぜ?

多くのダルマは赤い色をしていますが、これにも理由があります。

一説には達磨大師が開祖である禅宗では、お坊さんの位によって袈裟の色が変わるそうで、赤色は「大僧正」のみ身に着ける事が出来るのだそうです。
そのため、達磨大師を模ったダルマは赤い色をしているのだそうです。

他の説としては、赤色と言うのは古代より魔除けの意味があるとされています。
血や火の色である赤色にパワーを感じ、災厄を防いでくれる色とされて来たのかも知れません。
朱塗りの鳥居が多いのは厄除けの効果もありますが、朱の原材料である水銀(丹)が木材の防腐剤として使われていたと言う理由もあります。

また他の説として、江戸時代に痘瘡(天然痘)が流行り、当時は効果のある薬などもなかったため、沢山の人々が苦しんでいました。
神聖ローマ帝国カール5世が幼い時に天然痘を患った際に、赤色の衣類を着て、部屋の内装から全てを赤色にしたところ、綺麗に治ったそうです。
この話しが伝えられたからかどうかは分かりませんが、中国では疱瘡は疱瘡神のたたりによるものとされ、疱瘡神の嫌う赤色を身に着ける事で病除けになると言われ人々は赤色を身の回りに置いたのだそうです。
この風習が日本へも伝えられ、天然痘を除ける事が出来るとして、赤いダルマが用いられるようになったとも言われています。

ダルマに目がない理由とは?

ダルマには目が書き入れてありません。
願い事をする時に、まず左目(向かって右)に目を書き入れて、願いがかなったら右目(向かって左)に目を書き入れるのが一般的です。
これにはいくつかの説があります。

一説には日本語の「目」と「願」は同じ「がん」と読むことが出来ます。
仏像を作る際には最後に目を書き入れて魂を込めると言われています。
同様にダルマに目を入れる事ですなわち願いを込めると考えられたと言われています。

他にも養蚕農家が、目のないダルマの片目に墨で目を書いて願をかけたところ、良い繭が出来たと言う話が人々に広まり、その後願をかける際にダルマの片目に目を書き入れる事になったとも言われています。

もう一説、ダルマが赤い理由でお話しした天然痘と関係するとも言われています。
天然痘にかかると、失明してしまう事もあったのだそうです。
以前は既に目が描かれたダルマが売られていたそうで、綺麗に目が書かれたダルマは病を治す効力も強いと言われ、反対に上手く目が書かれていないダルマは売れ残ってしまっていたそうです。
そこで目のないダルマを売り出して、お客さんに直接書いてもらう様にしたのが始まりとも言われています。

当タトゥースタジオのある大阪には「勝尾寺」と言うお寺があり、勝ちダルマが有名です。
その昔、時の住職が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、回復した天皇は「ここはまさに王に勝った寺、勝王寺である。」と命名したのだそうです。「王」とは恐れ多いという事で、「尾」と変え、勝運の寺として広く信仰されるようになりました。
お寺には願いが叶って両目が入れられ奉納された沢山の勝ちダルマが並んでいます。
また小さなダルマの形をしたおみくじもあって、おみくじをひいた人々はそのダルマを置いていくため、境内のあらゆる場所に所狭しとダルマが置かれています。

ダルマと起き上がり小法師

ダルマと似たもので、「起き上がり小法師」があります。
一説には織田信長のだるま信仰にならって、信長の家臣であり義理の息子でもあった「蒲生氏郷」が広めたと言われています。
起き上がり小法師は倒しても起き上がる様に作られており、同じように作られるダルマも多くあります。
倒しても起き上がる事から不屈の精神、あきらめない事の大切さを表し、7回転んでも8回目には起き上がる「七転び八起き」の精神を表現していると言われています。

ダルマが象徴する意味:

  • 「開運」
  • 「繁栄」
  • 「勝運」
  • 「忍耐」
  • 「勇気」
  • 「家内安全」

ダルマ(達磨)にちなんだ言葉

面壁九年:達磨大師が壁に向かって九年間も座禅を組んだという伝説から、忍耐強く長い間、他の事にわき目もふらず一つの事に専念して努力する事を言います。
何事もあきらめずに、目標に向かって取り組む事が大切ですね。

火だるま:命がけで物事に果敢に取り組む姿勢を指したり、手の施しようがない状態を指したりします。